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2006年11月の18件の記事

宗教第10回:カーンとイスラム教

イスラム教の聖戦、アブドゥール・カーンの非暴力、聖戦に対する平和的精神的解釈、カーンの生涯、宣教師の影響、ガンジーとの出会い、ムハマドの生涯、メッカ時代の平和主義、メディナ時代の戦闘性、メディナ憲章、戦士の宗教

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宗教第9回:アショーカ王

宗教第9回:アショーカ王

アショーカ王とは、マウリヤ王朝、カリンガ王国の征服、回心、武力による征服から法(ダルマ)による征服へ、石碑、福祉国家の理念、寛容政策、虐待、殺生の停止、敬虔の法則、仏教の保護者、世界伝道、経典の編集、宗教会議の開催、宗教と政治、神政政治、皇帝政治、教権制、
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テキスト:アショーカ王

テキスト:アショーカ王
---------------目次------------------
● 王の仏教入信
● 宗教と政治の関係
● 教権政治の平和主義
● 福祉国家の理想
● 平和政策
● 寛容政策
● 敬虔の法則
● 宗教国家
● 仏教の統一
● 仏教経典の編集
● 世界伝道
● 政治的仏教
● 宗教教育
● 福祉国家の理念
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● 王の仏教入信
原始仏教はマウリヤ王朝アショーカ王の統治下で頂点に達しました。アショーカ王はエジプト人やアッシリア人やアケメネス人の仕方で、自己の業績と命令を多くの石窟碑文や石柱碑文の中に永久に残そうと努力した最初のインド人君主でした。アショーカ王は始めに仏教教団(サンガ)の求道者となり、しばらくして正式な成員となりました(注1:小岩石第1教勅)。

● 宗教と政治の関係
しかし彼が国王の座を続ける事が出来たのは、仏教教団の広範囲な適応を示しています。アショーカ王自身も、この世とあの世のどちらも獲得することがいかいに難しいかを強調しています(注2:石柱第1教勅)。なぜなら、国王は通常の僧侶とはみなされず、独特の特殊な地位を占しめたからです。それとともに、仏教では初めて世界君主の権力がブッダの非現世的な宗教的力を補完すべきものという政治理論の芽が生まれました。ビザンツの皇帝がキリスト教会の保護者であると主張した意味で、アショーカ王は仏教教団の保護者でした。

● 教権政治の平和主義
さらに、彼の教勅は半教権政治の独特の帰結も示しています。王の改宗は始めカリンガ王国に対する大規模な征服の後に生じました。王はこの征服戦争の際、虐殺によって多くの敬虔な人が失われたことを後悔しました。今後は剣によって征服するのでなく、信仰の力によって、信仰のために征服することが自分の子孫のダルマ(職分)であると決意しました。そしてこの平和な征服よりもいっそう重要なのは魂の救い、つまり来世であると述べています(注3:岩石第13教勅)。

● 平和国家の理想
王のダルマ(職分)を伝統的(政治的武力主義的)なものから宗教的・平和主義的なものに転換させることによって、家父長的・倫理的・博愛的な福祉国家の理想が帰結します。王は国土と人民を守ることが義務であり(注4:岩石第8教勅その1)、人々が「幸福」となり「天国を得る」ような公共の福祉のために働かなければなりません。その仕事は迅速を必要としますから一日中いつでも王に対して報告がなされなければなりません(注5:岩石第6教勅)。

● 平和政策
王自身は模範的な生活を送り、戦争と狩りを止めます。(狩りはここでも軍事勤務と結びつけられ、平和時にはその代わりになっていたのです。)代わりに、王は布教に従事し、そのために旅行します(注6:岩石第8教勅その2)。王は不殺生(アヒムサ)の教えに応じて、首都パータリプトラにおける屠殺と食肉狂騒の祭り(サマージャ)を禁止し、王宮の調理場では今後家畜は殺されてはならないと公布します(注7:岩石第1教勅)。人間と家畜のために薬局と病院が設けられ、道路には果実と日陰をあたえる樹木が植えられ、人間と家畜のための休息所が設けられ、施しが分配されなければなりません(石柱第7教勅)。不当な拷問と投獄は中止しなければなりません(カリンガ石窟教勅)。

● 寛容政策
ここに見られる最も重要な特徴は原始仏教の暴力拒否から来る「寛容」でした。自分の国民はいかなる信仰を持っても自分の「子ども」です。重要なことは、その信仰の誠実さであり、その信仰の教えから実践的結果を生み出そうとするひたむきな態度です、と『バガヴァトギーター』を思い起こさせる口調でアショーカ王はのべす。儀式と外面的態度はほとんど役立にたちません(岩石第9教勅)。・・・ 王は贈り物や外面的な畏敬をあまり信頼せず「事実の本質」が遂行されることだけを尊重します(岩石第12教勅)。王は、各自が自己の宗派に実際に誠実に従いさえすれば、仏教徒と同じく、あらゆる宗派とあらゆる身分、富者と貧者、バラモン、苦行者、ジャイナ教徒、アージヴィカ教徒(ヴィシュヌの禁欲的宗派)、その他を等しく尊敬します(石柱第6教勅,第7碑教勅文)。そしてアショーカ王は事実、それらすべてに対して布施をおこないました。特に、初期の勅語においてバラモンに対する尊敬が厳命されています。諸宗派はいかなる事情があっても相互に対する蔑みを抑え、各自の教えの倫理的内容の実践に従事しなければなりません。

● 敬虔の法則
その倫理的教えの内容(最も完全な内容はブッダのダルマに見られます)はあらゆる宗派において本質的に同じものと、明らかにアショーカ王は見なしていまた。彼はこの共通の倫理的内容を「敬虔の法則」と呼び、次のようにまとめ、繰り返し書き記しています。
(1)両親と年長者に対する従順(石柱第7碑文,石窟第5碑文)
(2)友人、親戚、バラモン、苦行者に対する親切
(3)生命への畏敬
(4)激情と度を過ぎたことの回避(石窟第3碑文)
すべての人がこの法則を全部守れるとは限りませんが、すべての宗派は感情の抑制、心の純潔、感謝の心、誠実な態度を育て広めることができます(石窟第7碑文)。すべての善い行いは来世においてその結果をもたらしますが、現世においてもしばしばその結果をもたらします(石窟第9碑文)。

● 宗教国家
「敬虔の法則」の実施と統制のために王は法大官(ダルマ・マハマトラ)という自身の官僚を作りました。法大官は王と王子の後宮の監視もしたように見えます(石窟第5碑文)。地方官僚は5年ごとに全管区で「穏和で忍耐強く、かつ生命を尊重する」人民集会を開かなければなりません(カリンガ石窟碑文)。これらの集会と法大官による監視によって敬虔の法則が普及されなければなりません。婦人たちの品行、従順にたいする違反、敬虔の法則に対する違反が審問されなければなりません(石柱第5碑文,第12碑文))。僧職者は人民にこの法則を教育することに奉仕しなければなりません。・・・ これは全体としてクロムウェルの審問官とその神聖国家を思い起こさせます。・・・

● 仏教の統一
仏教に対する王の熱意は増大したように見えます。キリスト教会に対するビザンツ皇帝たちと似た仕方で、アショーカ王は自らを仏教教会の主人兼保護者として振る舞いました。小石柱サンチー教勅において、彼は僧侶団(サンガ)における分派主義者に反対し、彼らは黄衣(僧の服)でなく、白衣(平民の服)をまとわねばならないと命令しています。「なぜならサンガは一つでなければならないからです。」

● 仏教経典の編集
しかしながら、形式的に見てアショーカ王の最大の革新はそれまで250年も口伝のみで伝えられていた仏教伝承を文字に固定したことです。この革新は、おそらく初めて組織的な書記行政への移行を確立した王と、彼の下で開催された(いわゆる第三回目の)教会会議とによって始められました。・・・ 教会の統一性の維持にとって写本が何を意味したか、そしてそれは伝道に対して何を意味したかは明らかです。中国のような文人の国おいては仏教は経典宗教としてのみ一般的な地歩を占めることができました。

● 世界伝道
仏教の世界的伝道の演出、あるいは少なくともその計画的な布告はアショーカ王に帰せられます。火のような情熱をもって彼はそれに突き進みました。仏教が世界宗教となる最初の動因はアショーカ王によって与えられました。まず、原住民部族が改宗させられました(カリンガ石窟碑文)。しかし王は外国とりわけアレクサンドリアにまでおよぶ西方のギリシャへ大使をつかわし、この聖なる教えを世界中に広めようと取り組みました。また王の使節はセイロン島と東南アジアの地域に向かいました。直接的な成果はどうあれ、アジアにおける仏教の世界的広がりは、ここにその理想的な始まりを見たのです。最初はセイロン島と北方インドで仏教は広まりました。それからビルマ、ベトナム、タイ、その他の東南アジア諸国と朝鮮において、そして変化した形ではチベットにおいて国教となっており、日本と中国でも長い間支配的な宗教となりました。

● 政治的仏教
言うまでもなく仏教がこうした宗教的役割を担うためには、その知識人的救済道は大きな変化を受けなければなりませんでした。第一に世俗の支配者が仏教団の内部において彼自身の権利を獲得したと言うことは全く新しい状況でした。この権利とその影響は大きいものでした。とりわけ正統派の小乗仏教が拡がった地域では仏教徒君主の神聖政治に関して一つの有意義な観念を提供しました。国王は国教会の総教主を任命あるいは少なくとも承認しました。総教主の職はタイではサンカラト、ビルマではタタナバインと呼ばれ、常にカリスマ的に傑出した僧院長がつきました。総教主の職がアショーカ王の下で初めて作られたと言うことは、伝承に反することですが、可能性が高いです。その理由は、それ以前は単に僧院および僧侶の年功が決定的であったように見えるからです。さらに、今でもタイで見られるように、国王は傑出した僧侶に対して称号を与えます。このことは明らかに国王兼祭司の地位から生じたものです。国王は世俗的役人を用いて僧院の規律を検査し、違反する僧侶に責任を取らせます。こうして、国王は教会の規律に関して公の地位を持ちました。王は自らも僧侶の衣服をまといますが、自身の導師によって完全な誓いの順守を免除されていました。このこともまた(何の証拠もありませんが)アショーカ王かその後継者の創造です。これは王に僧侶の地位を与えるのに役立ちました。

● 宗教教育
その結果、正統派(小乗)の地域で僧侶共同体への一時的参加が高貴な道徳と、また青年教育の一部と見なされるようになった。また僧院規律の一時的ないしは部分的遂行は俗人信徒に生まれ変わりの機会を促進させ、功徳となる行いとなりました。これによって、俗人の信仰が僧侶の救済道に対してある程度、外形的に接近することになりました。
貴族の僧院教育およびそれにならって作られた僧侶による大衆の学校教育がもしも合理的性格を持っていたら広範囲におよぶ結果をもたらしたでしょう。なぜなら少なくともビルマにおいて民衆学校教育は普遍的であったからです。ビルマとセイロンにおける学校教育では読み書き(方言と経典語)と宗教指導が行われました。しかし算数は含まれませんでした。なぜなら算数は宗教的目的に対して無益であったからです。こうした俗人大衆に対する教育は原始仏教にはなじみのないものでした。「内面的伝道」に対するアショーカ王の情熱が初めてこうした学校教育を起こす動因を与えた可能性が大きいです。

● 福祉国家の理念
ヒンドゥー文化圏において、ここに初めて「福祉国家(公共の福祉)」の理念がが現れましたた。アショーカ王は公共の福祉の増進は国王の義務と見なしていた。ただし、ここでの「福祉」とは宗教的性格(救済の機会の増進)ないしは慈善的性格として理解され、合理的経済的には理解されなかった。 ・・・ 
アショーカ王の一教勅は仏教団内部の分裂主義者について述べている。大乗教の伝承によれば、大きな分裂はヴァイシャーリー(第二回)会議において初めて生じたとされ、それはブッダの死後110年目であったと言われるが、おそらくはアショーカ王の下で、彼によって引き起こされたものである。細部の歴史的正確さは別として、事実の性格から見ても、伝承から見ても、最初の分裂の理由はそれ自体はっきりしている。有名なヴァッジー族の僧侶たちの「十戒」については合意は得られなかったが、それらは一貫して規律上の問題であり、教義上の問題ではなかった。問題とされたことの一つは僧院における生活態度に関する個別問題であり、全体としては規律の緩和を目的としており、形式的な関心事であった。もう一つの問題は組織上の問題であって、これは分裂の序曲と結合していた。他にもう一つ重要な経済上の問題があった。それはフランシスコ修道院で一般修道士と厳格修道士の分裂が生じた時と同じ性格の経済問題であった。開祖の教えではいかなる金銭の所有も、それゆえに金銭の施しも禁じられていた。伝承によれば厳格派の一人がこの開祖の教えにしたがって、金銭の施しを拒否した時、大多数の僧侶はこれを在俗信者に対する侮辱であると非難した。施しを拒否した人は自分の正しさを弁明するため、公の機会を利用した。しかし彼は「教団の承認なしで説教した」との理由で罰せられた。上座仏教の伝承によると会議は他の点では初期正統派の教えを確認した。いずれにしても、見解の一致は見られなかった。
しばらくして、規律上の問題の他に、教義上の問題も生じた。その際、初めて来世の救済に関する教義が議論されたのである。伝承によればアショーカ王のもとで開かれた会議で座長は三つの問題を提起した。1.覚醒者(アルハト)は恩恵を失ってもよいか。2.現世の存在は真実であるか。3.神秘的知識(サマディ)は絶え間ない瞑想によって達成されるのか、という問題である。

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資料:アショーカ王碑文

注釈:アショーカ王碑文
注1.小岩石第1教勅
「私が在俗信者であった2年半のうち1年間は熱心ではなかった。その後、教団の求道者となり努力した期間は1年間であった。かつてはインドにおいて神々を信じなかった人も今は信じるようになった。これは精進の成果である。」

注2:石柱第1教勅
「ダルマ(教法)に対する至高の愛と至高の自己審査と至高の従順と至高の敬虔と至高の熱心がなければ、この世とあの世の両方を得ることは難しい。」

注3:岩石第13教勅
「私が王に即位して8年後にカリンガ王国を征服した。その時15万人が捕らえ移され、10万人が殺され、その何倍もの人が人々が死んだ。それ以降はカリンガでダルマの熱心な教え、さとし、実践を王である私は行ってきた。それはカリンガ王国への武力の征服に対する私の悔い改めである。なぜなら武力による征服は多くの人を殺し、傷つけ、離散させる。これを王である私はとても苦しく感じ、痛ましく思うのである。しかし、王である私がもっと苦痛を感じることは、カリンガに住んでいたバラモン、シャモン、あるいは他の宗教の人々、また在俗信者で年長者に対する従順、父母に対する従順、師に対する従順、友、知人、同僚、親族および雇い人に対する正しい対応を行い、敬虔な信仰をもつ人々が戦争の災いに遭い殺されたり、愛する人と離ればなれになってしまったことである。 ・・・ ダルマ(教法)による征服こそ最善の征服である。ダルマによる征服こそが私の領土においても、世界中のいたるとこにおいても最善の征服である。辺境の地にはアンティオコスというごヨーナ王がいる、その向こうにはトゥラマヤ王とアンティキニ王とマカー王とアリカスダラ王という名の4人の王がいる。 ・・・ このような教法による征服が全面的勝利であり、喜びを得させるものである。しかしこのような現世における喜びも来世の勝利(救い)の喜びに比べたら軽いものに過ぎない。来世の救いこそが大いなる目的であると私は信じている。 ・・・ この勅語は私の子や孫たちが領土を征服することでなく、教法による征服こそが真の勝利(王とての努め)であると信じることを願って刻まれたのである。」

注4:岩石第8教勅その1 ・・・作成中
注5:岩石第6教勅
「わたしが食事中でも、後宮にいても、内房にいても、飼育寮にいても、車に乗っていても、あるいは庭を散策していても、いつでもどこにいても、上奏官は民衆に関する政務を私に報告するべきである。 ・・・ 全国土の福祉を増進させることが私の義務と考える。その基本は政務に対する精進と迅速な処理である。すべての人の福祉を向上させることよりも高尚な事業は存在しない。わたしがそのために努力を惜しまないのは、私が命あるものに対して負っている債務を返すためであり、また同時にいのちあるものがこの世で平安に暮らし、来世において天国に至らせるためである。この勅語が永久に存続し、わたしの子や孫がすべての人の福祉のために働き、そのために最善の努力をするためにこの石碑は建てられた。」
注6:岩石第8教勅その2
「過去長い間、国王は巡行に出かけた。その際狩猟やその他の娯楽が行われた。しかし私は即位10年の時にブッダガヤに巡行した。このときから教法の巡行が始まった。その際、バラモン、シャモンに会い、布施を与え、長老に金銭を分配し、人民に会って教法をさとし、教法に関する質問を受けた。この教法の巡行は王にとって非常な楽しみとなった。」

注7:岩石第1教勅
「ここ(マウリヤ帝国)では、いかなる生き物も殺して犠牲に供してはならない。またその祭りをおこなってはならない。なぜならその祭りには多くの過ちがあるからである。他の祭りには良いものもある。かつで王の調理場で日ごとに何千もの生き物が食用に殺された。しかし今この教勅が発布された今、ただ3種類の生き物が殺されているに過ぎない。それは2匹の孔雀と1頭の鹿である。しかしこれらの生き物もやがては殺されないであろう」

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支配第9回:毛沢東

毛沢東の生い立ち、農民の子、長征と毛沢東の台頭、長征と共産主義中国の基礎、と毛沢東の軍事カリスマ、毛沢東の文筆活動、カリスマの非経済、文化大革命と紅衛兵、官僚vs カリスマ、カリスマの先鋭性

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テキスト:禁欲の反権威性

禁欲の反権威性
「本来の禁欲はつねに反権威的なものです。・・・カトリック的禁欲の場合、教会組織の権威が問題となる限り、服従それ自体が禁欲であると解釈して、服従の誓いをさせて反権威的傾向を抑えました。ところでプロテスタンティズムの禁欲にあらわれた反権威的原理の底流こそが、今なおピュウリタニズムの歴史をもつ諸国民の民主主義と、ラテン的精神の下にある民主主義との違いの歴史的基礎となっているのです。反権威的原理はまたアメリカ人の丁重さに欠けることの歴史的理由でもあります。」
(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」より)

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テキスト:プロテスタント・セクトの反権威性

プロテスタント・セクトの反権威性
「洗礼(バプテスト)派運動ほど、あらゆる教会から無慈悲な迫害をうけたものはありません。それは独自な意味でのセクト(自主団体)になろうとしたからです。・・・ 平信徒の世俗内禁欲はつねに私的な集会をうみだしました。カトリック教会はこのような集会を最大の不信の念を持って扱い、修道士会結成の方向へ、つまり世俗内でなく世俗外へ、導こうとします。あるいは既存の修道士会へ従属させて管理しようとします。平信徒の主観主義的禁欲道徳が権威の否定と異端につながる危険をカトリック教会は見逃しませんでした。」
(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」より)

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テキスト: セクトとは

セクト(宗派)とは
社会学的な意味における「セクト」とは普遍性を断念して、成員同士の自由な合意にもとづいく集団を言います。セクトは貴族主義的構成体であり、宗教的な特別の資格があるものだけの選抜団体であろうとします。セクトは教会と違って、すべての人を受け入れ、すべての人に救いを施そうとする「恩恵の施設」ではありません。教会は、その社会学的意味では、正しい者にも正しくない者にも救いの恵みを施し、罪あるすべての者を神の命令への服従へと訓練する恩恵の施設(アンシュタルト)です。・・・
セクトはその純粋型においては制度的恩恵と官職地位のカリスマを拒否します。・・・セクトにおいて、メンバーはその特殊カリスマの資質を持つことが要求されます。セクトのメンバーが作る共同体は資質のある者を無い者から分け隔てる選抜の機能を持ちます。・・・純粋なセクトでは統括的な本部組織でなく、個々の共同体が無条件の主権を持つという原則が生まれます。なぜなら日々相互に交際し、お互い個人的に知り合っている者に対してのみ、その宗教的資格を判定することできるからです。同じ信仰をもつ共同体が集結してより大きな団体を作る場合は単なる「機能団体」であり、決定的な処理権はつねに個々の共同体に保持されます。
(マックス・ウェーバー、「支配の社会学」より)

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宗教第8回:キング牧師とバプテスト派

パプテスト派とは、教会とセクト、制度団体と自主団体、
キングの環境、南部の黒人、簿牧師の子、公民権運動、演説カリスマ、人種差別との戦い、非暴力の戦い、ガンジーの影響、国民の祝日、反戦運動と暗殺、
アメリカの使命と日本の課題、預言カリスマ、セクトとは、自主性、選抜性、閉鎖性、倫理審査、禁欲性、反権威性、政治批判、権力批判、アメリカの政教分離

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支配第8回:国家の理念

国家という団体には国民感情や正当性を含めた「国家の理念」というものが根底にあります。
「私たちは同じ」という共同体感情は、その肌の色(人種)、言葉(言語)、習慣(伝統)、文化・宗教、歴史などが入り交じった「誇り」(名誉感情)を育てます。国家に対する誇りを養う上で過去の歴史文化の誇りを学習し記憶することが欠かせません。国家の指導者はそうした国家の誇りの上に理想を掲げて国民を導こうとします。
国家は記憶共同体であるとともに理念共同体であるということができます。

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支配第7回:ガンジーと非暴力

ガンジーの非暴力不服従運動から支配とカリスマについて学びます。
ガンジーのカリスマは彼の人格と実践から生まれたと考えます。彼は自分に示された真理を実践し、述べ伝え続けたという意味で預言カリスマと言っていいと思います。彼の登場によって非暴力が現実の社会と歴史を動かす力となりました。

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テキスト:良心の自由

良心の自由
最も完全な教会(救済機関)では良心の自由は認められません。教会が良心の自由を要求する場合は自分のためだけであり、他人の良心の自由のためではありません。カトリック教徒の良心の自由とは自らの良心に従って行為することではなく、教皇の指示に従うことを意味するにすぎません。教会は、カトリック教会であれルター派教会であれカルヴァン派教会であれ、自分が勢力を持っている限りは他者の良心の自由を認めません。魂の救いのために信者を危険から守るという教会の官職義務からは他人の良心の自由は認められないのです。
これに対して、クエーカー派の良心の自由は自分の良心の自由であるとともに他者の良心の自由でもあります。クエーカー派では何人も強制されないことをその中心的教えとしています。教会的でないプロテスタント諸宗派(セクト)の基盤で、権力の強制に対抗して個々人が不滅に持っている一つの権利として良心の自由が成立しました。・・・良心の自由は国家権力からの自由を保障する第一次的な人権だからです。
(マックス・ウェーバー、「支配の社会学」より)

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テキスト:良心の権威

良心の権威
神が預言者と使徒に啓示したものだけが神の啓示のすべてではありません。神の啓示は日々の生活の中で個々の信徒に直接示されます。聖霊の力によって啓示される言葉がいつもでも存続していることは、真の教会の唯一の指標です。これは初期のキリスト教会が示していることです。このような啓示の存続という考えから、聖霊の内的な証明に対する究極の権威として理性と良心に決定的な重要性を認めるという教えが生まれました。この考え方は聖書の独裁性を排除し、教会によって救われるという教義を否定し、クエーカー派にいたっては洗礼や聖さんさえもが排除されるという発展の道を開きました。こうして洗礼派系のプロテスタント諸宗派(デノミネーション)は預定説を厳格に信じるカルヴァン派とならんで、救いの手段として一切の聖礼典を根本から完全に無価値なものとし、現世における「魔術からの解放」を徹底的に成し遂げました。
(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」より)

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宗教第7回 クエーカーと平和主義キリスト教

宗教第7回 フレンズと平和主義キリスト教
フレンズ(クエーカー)が1947年にノーベル平和賞、良心的兵役拒否、絶対的非暴力(非戦)、代替奉仕、フォックス、メノナイト、アーミッシュ、反権威主義、黙想、儀式無し、聖職者無し、良心の権威、教会とセクト、ウィリアム・ペンと憲法の精神、良心の自由

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テキスト:説教とは

説教とは

説教とは「宗教的および倫理的な事柄についての集団的教化」をいいます。説教は預言者および預言者宗教に特有のものです。預言者宗教以外で説教が行われるのは模倣されたものです。啓示による預言宗教性が日常化されて、単なる祭司経営へ変わると説教の意義が薄れて、代わりに呪術的要素が増大してきます。一つの宗教性における説教的要素は呪術的要素と逆比例の関係にあります。仏教はもっぱら説教によって成立しました。キリスト教諸宗派では呪術的秘蹟的要素が取り除かれるのに比例して、説教の意義が大きくなってきました。そしてプロテスタントに至って最大の意義を持つようになり、祭司という概念は説教師という概念にすっかり置き換えられました。
(マックス・ウェーバー、「宗教社会学」より)

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テキスト:修道院のないプロテスタント

修道院のないプロテスタント

カトリックはキリスト教道徳を一般の世俗信者が守るべき「命令」と世俗を離れた修道者が守るべき「勧告」と二重の道徳律に区別し、修道者の道徳を一般信者の道徳よりも高いものとしました。これに対して、プロテスタントはカトリックの二重道徳律を否認し、修道制度を廃止しました。神に喜ばれる生活を営む手段はただ一つ、各自が生活上の地位から生じる世俗内的な義務の遂行です。これが神から与えられた「召命」に他ならないとプロテスタントは考えるようになりました。
(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」より)

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テキスト:プロテスタントの特長は「天職」

プロテスタントの特長は「天職」

この世の日常的労働を重んじるという「天職(ベルーフ)」観念は宗教改革の産物であり、新しい思想です。・・・世俗的職業における義務の遂行を道徳的実践の中で最も大切なものとして重んじたという事実は、それまでの中世に見られなかった、全く新しいものでした。その結果、世俗の日常労働に宗教的意義を認め、世俗的職業を神からの使命とする「天職」という観念を初めて作り出したのでした。この「天職」という観念の中にプロテスタントのあらゆる宗派の中心的教義が言い表されています。
(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」より)

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宗教第6回シュバイツアーとプロテスタント

宗教第6回シュバイツアーとプロテスタント
今回はアフリカ人への医療と伝道に身を捧げたシュバイツアーの生涯を通してプロテスタントを学びます。
<講義トピックス>
世襲制度について、チベットとカトリックの復習、イスラム教のスンニ派とシーア派、シュバイツアーの生涯、牧師の子、少年時代のエピソード、オルガニスト、哲学神学研究、職業の選択、伝道師を志す、神の声、宣教師の申込を拒否される、30才で医学を学ぶ、自費で妻とアフリカへ、平和の活動、プロテスタントとカトリックの違い、牧師と神父、マザーテレサとの比較、聖書か教皇か、修道院制度、儀式か説教か、職業観念


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