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講義ノート:内村鑑三<はじめに>

内村鑑三と非戦(音声に収録できなかった始めの部分)

<はじめに>
内村鑑三を今回取り上げる理由は3つあります。
1.非戦論
2.預言者としての活動
3.後世への影響
宗教と平和をテーマとした今回の講義において日本人を誰か一人取り上げるとすれば、それは内村鑑三です。それは彼がクリスチャンとして非戦論を唱えたからだけでなく、彼の預言者としての活動、とりわけ社会や政治に対する批判や無教会キリスト教という新しい教えを作り出したことは社会学的に非常に重要だからです。そもそも預言者の啓示カリスマというのは新しい教えと説いたり、あるいは古い教えに対して新しい意味づけを与える人のことをいいます。また彼が他の人々に与えた影響という点でも重要なものがあります。前回論じた韓国のハムソクホンもその一人ですが、次回取り上げる予定の矢内原忠雄も内村鑑三の弟子であります。預言者の伝道活動が認められるようになると弟子が彼の周りに集まります。弟子も又師にならって預言的活動を継承します。

<生涯>
さて、以上3つの点を詳しく論じる前に内村鑑三の生涯を少し述べてみたいと思います。内村鑑三は1861年高崎藩の下級武士の子として生まれます。明治維新を迎える直前です。下級武士ですからお金がありません、そこで内村は金のかからない札幌農学校(北海道大学の前身)に入ることにしました。当時の大学はまだ生まれたてで西洋の制度をまねたものですから、先生がおりません。そこでアメリカやヨーロッパから先生を招きます。そうして札幌農学校に招かれたのが、かの有名なサー・ウィリアム・クラークであります。皆さん、「少年よ、大志を抱け」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?この言葉はクラークがアメリカに帰る時に学生に向かって呼びかけたものであると言われております。

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