カテゴリー「ウェーバーテキスト(支配)」の6件の記事

官僚支配の影響

社会的には、官僚制的支配は、一般に次のことを意味している。
1 水準化の傾向。これは、最もよく専門的資格を備えたひとびとの中から、広く要員を採用しよ
うとするためである。
2 金権制化の傾向。これは、できるだけ長い間(しばしば二十歳代の終わりまで)専門的訓練を
続けさせようとするためである。
3 形式主義的な非人格性の支配。すなわち理想的な官吏は、怒りも興奮もなく、憎しみも情熱も
なく、したがって「愛」も「熱狂」もなく、全ての義務概念の圧力の下で、「人物のいかんを問うこと
なく」、何びとに対しても──すなわち同じ事実的状態にあるいかなる人に対しても──形式上平等に、
その職務をつかさどるのである。
ところで、官僚制化は、(通常の・歴史上も通常的であることが証明されうる傾向によれば)、身分
的水準化を作り出すものであるが、逆に、社会的水準化の方も、すべて、──行政手段や行政権力を
専有することによって身分制的な支配をおこなっている者を排除し、また、財産をもっていることに
よって「名誉職的」または「副業的」に行政をおこないうるような官職保有者を、「平等」の利益のた
めに排除することによって──、官僚制化を促進していく。官僚制化は、どこにおいても、大衆民主
制の進展に不可避的に伴う影なのである──この点については、別の関連で詳論する。

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官僚制

合法的支配の最も純粋な類型は、官僚制的行政幹部による支配である。団体の指導者だけが、──
あるいは専有によって、あるいは選挙によって、あるいは後継者指定によって──彼のヘルとしての
地位を保有している。とはいえ、彼のヘルとしての権能も、合法的な「権限」なのである。行政幹部
の全体は、最も純粋な類型においては、単独制官吏(「合議制」に対する単一支配制、合議制について
はのちに論ずる)から成っている。これらの単独制官吏は、
1 人格的には自由であり、ただザッハリッヒな官職義務に服従するのみであり、
2 明確な官職階層制の中にあり、
3 明確な官職権限をもち、
4 契約によって、したがって(原理的には)自由な選抜によって、
5 専門資格──最も純粋なケースにあっては、試験によって確かめられ・免状によって認証され
た専門資格──にもとづいて、任命され(選挙されるのではない)、
6 貨幣形態での定額の俸給を報酬として受け、多くの場合には年金請求権を与えられている。ヘ
ルの側からも事情によっては(とりわけ私的経営においては)確かに解約告知が可能であることも
あるが、官吏の側からは常に解約告知が可能である。この俸給には、第一次的には階層制の上での
位階に応じて、さらに、その地位の責任の軽重に応じて、その他「身分相応」の原則にしたがって
等級がつけられる。
7 彼らは、自己の官職を、唯一のまたは主たる職業として扱い、
8 昇任、すなわち在職年数または功績、あるいはこの両者にもとづく「昇進」──ただしこれは
上司の判断にかかっている──を前途に期待し、
9 完全に「行政手段から分離」されて、また官職地位の専有なしに働き、
10 厳格で統一的な官職規律や統制に服している。
この秩序は、原理的には、営利経済的な経営や慈善事業の経営においても、その他任意の・私的
な──観念的または物質的な──目的を追求している諸経営においても、また、政治的団体や教権
制的団体においても、ひとしく適用可能であり、また歴史の上でも(純粋型に多少とも強く近似し
た形で)証明しうるものである。

純粋に官僚制的な行政、すなわち官僚制的=単一支配制的な・文書による行政は、あらゆる経験に
徴して、精確性・恒常性・規律・厳格性・信頼性の点で、したがって──ヘルにとっても利害関係者
にとっても──計算可能性を備えている点で、また仕事の集約性と外延性の点で、さらにあらゆる任
務に対して形式的には普遍的に適用できるという点で、純技術的に最高度の仕事を果たしうるまでに
完成することが可能であり、これらすべての意味において、それは、支配の行政の形式的には最も合
理的な形態である。あらゆる領域における「近代的な」団体形式の発展(国家、教会、軍隊、政党、
経済的経営、利害関係者団体、社団、財団、その他何であれ)は、官僚制的行政の発展およびその不
断の成長と、端的に同一のことなのである。例えば、官僚制的行政の成立が、近代的な西洋国家の萌
芽をなしているのである。われわれは、例えば合議制的な利害関係者代表であれ、議会の委員会であ
れ、「労兵委員会独裁」であれ、あるいは名誉職官吏であれ、素人裁判官であれ、あるいはその他何で
あっても、これらのあらゆるみせかけの対抗機関にまどわされて、(いわんや「真正なる官僚主義」に
対する非難によって)、およそあらゆる継続的な仕事は官吏によって役所でおこなわれているのだとい
う事実を、片時も思い誤ってはならない。われわれの全日常生活は、この枠の中にはめ込まれている
のである。けだし、官僚制的行政がどこにおいても──他の事情にして同じならば!──形式的=技
術的に最も合理的なものであるとするとき、それは、(人的または物的な)大量行政の必要をみたすた
めには、今日ではまったく避けえないものであるからである。われわれは、行政の「官僚制化」かそ
の「ディレッタント化」か、そのいずれかを選びうるのみなのである。官僚制的行政が優位性を獲得
した偉大な手段は専門知識である。専門知識が全く不可欠のものであるということは、財貨調達につ
いての近代的な技術と効率的運営との結果であり、この事態は、財貨の調達が資本主義的に組織され
ていようと、あるいは社会主義的に組織されていようと──社会主義的な組織は、同一の技術的成果
を達成しようとするかぎり、専門官僚制の意義を途方もなく高めるということを意味するだけであろ
う──、全く異なるところはない。被支配者は、通常、自分自身の──これまた官僚制化の運命に曝
された──対立組織を作り出すことによってのみ、既存の官僚制的支配に対抗しうるわけであるが、
これと同様に、官僚制的装置自体も、自分自身の物質的および純粋にザッハリッヒな──したがって
理念的な──抗しがたい利害関係によって、みずから機能しつづけることを余儀なくされている。要
するに、官僚制的装置が欠如するときは、官吏・職員・労働者が行政手段から分離され、しかも規律
と訓練とが不可欠であるような社会においては、生計手段をまだもっていないようなひとびと(農民)
を除いて、他のすべてのひとびとにとって、近代的な生存可能性が停止してしまうということになろう。....

マックス・ヴェーバー『支配の諸類型』

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合法的支配

合法的支配は、次のような相互に関連し合う諸観念の妥当にもとづいている。
1 任意の法が、協定または指令によって、合理的な──目的合理的または価値合理的な(あるい
はその双方の)──志向をもって、また次のような要素を掲げて、制定されうるという観念。すなわ
ち、少なくとも当該団体の成員によってそれが遵守され、また通常は、さらに、その団体の勢力圏(領
域団体の場合にはその領域)内で、その団体秩序によってそれが重要であると宣言された一定の社会
関係に入り・またそこで社会的に行為するひとびとにとっても、遵守されるべきであるという要求で
ある。──
2 すべての法は、その本質上、抽象的な・通常は意図的に制定された諸規則の体系であり、司法
は、これらの諸規則の個々のケースへの適用であり、行政は、団体秩序によって予定された利益を、
法規則の限界内で、また、一般的な形で示されうるような諸原理──団体秩序において是認されてお
り、あるいは少なくとも非認されていないような諸原理──にしたがって、育成することであるとい
う観念。──
3 したがって、合理的に典型的な合法的ヘル、すなわち「上司」は、彼が指令を発する──した
がって命令する──場合、彼自身もまた非人格的な秩序に服従しており、彼はその指令をこの非人格
的な秩序に準拠させているのだという観念。──
このことは、「官吏」ではないような合法的ヘル、例えば選挙制の大統領についてもあてはまる。
4 服従者は、──よく使われる言い方にしたがえば──仲間としてのみ、また「法」に対しての
み服従するのだという観念。
社団の仲間、ゲマインデの仲間、教会成員として、国家にあっては市民として。
5 3の点に照応して、団体仲間は、彼らがヘルに服従することによって、ヘルの人に服従してい
るのではなく、右の非人格的な秩序に服従しているのであり、したがって、この非人格的秩序によっ
3
てヘルに与えられた・合理的に限界づけられた・ザッハリッヒな管轄権の範囲内においてのみ、服従
の義務を負うのだ、という観念がおこなわれている。
したがって、合理的支配の基礎的な諸範疇は次のようなものになる。
1 官職事務の継続的な・規則に拘束された経営、この経営は、
2 権限(管轄権)の範囲内でおこなわれる。権限は、
(a)作業の分配によってザッハリッヒに限界づけられた作業業務の範囲を意味し、
(b)そのためにあるいは必要であろう命令権力の付与を伴い、また
(c)必要に応じて許される強制手段と、この強制手段の適用の諸前提とについての明確な規定を
伴う。このように秩序づけられた経営を、「官庁」と呼ぼう。
この意味での「官庁は」、「国家」や「教会」におけると全く同様に、いうまでもなく、大規模な私的経営や
政党や軍隊にもある。選挙制の大統領(あるいは大臣たちや選挙制の「人民委員」たちの合議体)も、この
用語法の意味における「官庁」である。しかし、これらのカテゴリーは、ここではまだわれわれの問題では
ない。どの官庁も同じ意味において「命令権力」をもっているというわけではないが、この区別はここでは
われわれの関心をひかない。
これに加えて、
3 さらに、官職階層制の原理が加わる。官職階層制の原理とは、各官庁について明確な統制=監
督官庁を定め、下級官庁の決定について上級官庁への上訴や訴願の権利をこれに伴わせることであ
る。この場合、訴願受理機関が、変更されるべき指令をみずから「正しい」指令によって置きかえ
るか、それとも、この仕事を、訴願が向けられた下級の官職に委ねるか、またどのような場合にど
のような方法がとられるかという問題については、規律の仕方はさまざまである。
4 手段の準拠となる「規則」は、
(a)技術的規則であることもあり、
(b)規範であることもある。
そのいずれも場合にも、これらの規則を適用するためには、完全な合理性を達成しようとするか
ぎり、専門的訓練が必要である。したがって、通常は、効果的な訓練を受けたことを証明しうる者
だけが、一つの団体の行政幹部に参加する資格を認められ、また、このような者だけが官吏として
任用されうるのである。「官吏」は、合理的な諸団体──それが政治的・教権制的・経済的(とりわ
け資本主義的)あるいはその他の団体であるとを問わない──の典型的な行政幹部を形成するもの
である。
5 (合理的なケースにおいては)、行政手段や調達手段から行政幹部が完全に分離される、という
原則がおこなわれる。行政幹部に属する官吏・職員・労働者は、物的な行政手段・調達手段を自分
で所有してはおらず、これを現物または貨幣の形で支給されて受けとり、また計算報告義務を課せ
られている。官職(または経営)財産(ないしは資本)と私的財産(家計)との、また官職経営の
場所(役所)と住居との、完全な分離の原則が存在しているわけである。
6 完全に合理的なケースにおいては、保有者による官職地位の専有ということは全く存在しな
4
い。「官職」に対する「保持権」が設定されている場合(これは例えば裁判官にみられるし、最近で
は官吏層や、また労働者層についてすら、そのますます多くの部分にみられるようになっている)、
これは、通常は、官吏による専有という目的に奉仕するものではなく、彼の官職において、純粋に
ザッハリッヒな(「独立的な」)・規範にのみ拘束された仕事を保証するという目的に奉仕するもので
ある。
7 行政の文書主義の原則が、──口頭による討論が事実上常則になっており、あるいは端的に命
ぜられているような場合においても──おこなわれている。少なくとも、予備的な討論や最終的な
決定、あらゆる種類の処分や指令は、文書の形で固定される。文書と官吏による継続的な経営とは、
あい合して役所を形成するが、この役所こそあらゆる近代的な団体行為の核心そのものをなしてい
る。
8 合法的支配はきわめて種々さまざまな形態をとりうるが、これらの形態についてはのちに別個
に論ぜられるはずである。以下においては、まず第一に、とくに意図的に、行政幹部の最も純粋に
支配的な構造、すなわち「官吏制度」・「官僚制」の構造代家が、理念型的に分析される。

マックス・ヴェーバー『支配の諸類型』

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支配の3類型

正当的支配には、三つの純粋型がある。換言すれば、支配の正当性の妥当は、原理的に次のような
ものでありうる。すなわち、
1 合理的な性格のものであることがある。すなわち、制定された諸秩序の合法性と、これらの秩
序によって支配の行使の任務を与えられた者の命令権の合法性とに対する、信仰にもとづいたもので
ありうる(合法的支配)。──あるいは、
2 伝統的な性格のものであることがある。すなわち、昔から妥当してきた伝統の神聖性と、これ
らの伝統によって権威を与えられた者の正当性とに対する、日常的信仰にもとづいたものでありうる
2
(伝統的支配)。──あるいは最後に、
3 カリスマ的な性格のものであることがある。すなわち、ある人と彼によって啓示されあるいは
作られた諸秩序との神聖性・または英雄的力・または模範性、に対する非日常的な帰依にもとづいた
ものでありうる(カリスマ的支配)。
制定規則による支配の場合には、合法的に制定させた没主観的・非人格的な秩序と、この秩序によ
って定められた上司とに対して、上司の指令の形式的合法性の故に、またこの指令の範囲内において、
服従がなされる。伝統的な支配の場合には、伝統によってその任につけられ・伝統に(伝統の範囲内
で)拘束されているヘルの人に対して、ピエテートによって、習慣化したものの範囲内で、服従がな
される。カリスマ的支配の場合には、カリスマ的な資質をもった指導者その人に対して、啓示や英雄
性や模範性への人的な信仰によって、彼のこのカリスマへの信仰が妥当している範囲内において、服
従がなされる。

マックス・ヴェーバー『支配の諸類型』

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支配と正当性

「支配」とは、その定義からして、特定の(またはすべての)命令に対して、挙示しうる一群のひ
とびとのもとで、服従を見出しうるチャンスをいう。したがって、他人に対して「権力」や「影響力」
をおよぼしうるあらゆる種類のチャンスが、すべて「支配」であるというわけではない。この意味で
の支配(「権威」)は、ここの場合についてみれば、従順性の種々さまざまの動機──漠然とした慣れ
から始まって、純粋に目的合理的な考量にいたるまでの──にもとづいたものでありうる。一定最小
限の服従意欲、すなわち服従することに対する(外的なまたは内的な)利害関心があるということが、
あらゆる真正な支配関係の要件である。
......
あらゆる経験に徴して、いかなる支配も、その存立のチャンスとして、単に物質的な、または単に
情緒的な、あるいは単に価値合理的な動機だけで、甘んじて満足しようとするものではない。むしろ、
すべての支配は、その「正当性」に対する信仰を喚起し、それを育成しようと務めている。ところで、
いかなる種類の正当性が要求されるかに応じて、服従の類型も、この服従を保証することを任務とし
ている行政幹部の類型も、支配の行使の性格も、根本的に異なったものになってくる。そして、それ
とともに、支配のおよぼす影響も、根本的にちがってくる。したがって、支配の種類を、それぞれの
支配に典型的な正当性の要求を標準として区別することが、合目的的である。この場合、近代的な・
したがってわれわれのよく知っている諸関係から出発することが、合目的的であろう。

マックス・ヴェーバー『支配の諸類型』

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権力と支配

「権力」とは、或る社会的関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性を
意味し、この可能性が何に基づくかは問うところではない。
「支配」とは、或る内容の命令を下した場合、特定の人々の服従が得られる可能性を指す。「規律」
とは、或る命令を下した場合、習慣的態度によって、特定の多数者の敏捷な自動的機械的な服従が得
られる可能性を指す。

『社会学の根本概念』

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