カテゴリー「講義ノート(宗教社会学)」の9件の記事

ノート:宗教と平和のまとめ

宗教と平和 まとめ

宗教戦争という言葉もあり、宗教が戦争を引き起こすとも言われていますが、宗教は全体として社会を平和化する働きがあります。世界宗教というものが存在しない社会では部族間氏族間民族間の争いが絶えませんでした。
アフリカやアマゾンではジェノサイドといって氏族民族の皆殺してきな闘争が繰り返されていました。日本でも仏教が入る以前は人殺しを当たり前とみなしていました。動物の世界の弱肉強食が人間社会でも当然の事とみなされていました。

宗教は団体として互いに対立することはありますが、個人としては平和に貢献するように思います。たとえば回心したヤクザや武力王などです。)

物理的暴力(強制)と心理的暴力(強制)

暴力とは相手の意志に反して自らの意志を貫徹すること
暴力の拒否はどこからくるか
アヒムサとアガペー(敵を愛する)

寛容の精神(個人の意志の尊重)
自分の価値観や宗教を大切にするとともに相手の価値観や宗教も尊重するという精神はどのようにして生まれるのでしょうか。
政治的には民衆平和化するために権力によって諸宗教の尊重と言うことが説かれた。たとえばアショーカ王の暴力の拒否から来る寛容の精神です。

宗教団体の性格
普遍的団体、強制団体、制度団体、支配団体、教会というのは一つの価値、一つの宗教を押しつける、強制する、制度化する志向を持っている。
閉鎖団体、自主団体、任意団体、ヨコ社会、セクト自らの信条、理念を他人に押しつけることを断念、自由意志の尊重、個人の良心を信じる、
平和主義的団体、クエーカー、メノナイト、アーミッシュ
国家の法律(秩序)以上に重んじられるべき人権(良心の自由、信教の自由)
良心的兵役拒否と自己犠牲

ガンジー、非暴力抵抗運動、アヒンサー(不殺生、非暴力)、
マザー・テレサ、修道女、インドにおける人権の尊重、死を待つ人を愛する。
シュバイツアー、アフリカにおける医療活動と伝道、
ダライラマ、チベットの平和的独立のために、亡命生活、
アショーカ王 仏教の教権制国家、福祉国家の建設、武力による征服から宗教法による征服、
キング、市民権運動、自由と平等の理念、人種差別を乗り越える戦い、
(クエーカー)平和主義のキリスト教自主団体、良心の自由、基本的人権、憲法の生みの親、魔術からの解放、儀式なし制度なし)
アブドフール・カーン、平和主義イスラム教徒、パキスタンのガンジー、そのほとんどを投獄生活
ハムソクホン、韓国のガンジー、クエーカー、韓国の良心、韓国のキリスト教化
内村 非戦論(正義戦争なし)、不敬事件、非戦論者の戦死、無教会(預言者キリスト教)
矢内原忠雄、戦時中の平和主義、日本の良心、国家の理想(正義と平和)、国家の犠牲、

預言カリスマ 新しい教え、新しい解釈(意味)の告知
個人的召命(使命感)、命を捧げる態度、

権力批判、正義感、倫理感
民衆演説家
倫理の内面化、心情化

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講義ノート:内村鑑三<はじめに>

内村鑑三と非戦(音声に収録できなかった始めの部分)

<はじめに>
内村鑑三を今回取り上げる理由は3つあります。
1.非戦論
2.預言者としての活動
3.後世への影響
宗教と平和をテーマとした今回の講義において日本人を誰か一人取り上げるとすれば、それは内村鑑三です。それは彼がクリスチャンとして非戦論を唱えたからだけでなく、彼の預言者としての活動、とりわけ社会や政治に対する批判や無教会キリスト教という新しい教えを作り出したことは社会学的に非常に重要だからです。そもそも預言者の啓示カリスマというのは新しい教えと説いたり、あるいは古い教えに対して新しい意味づけを与える人のことをいいます。また彼が他の人々に与えた影響という点でも重要なものがあります。前回論じた韓国のハムソクホンもその一人ですが、次回取り上げる予定の矢内原忠雄も内村鑑三の弟子であります。預言者の伝道活動が認められるようになると弟子が彼の周りに集まります。弟子も又師にならって預言的活動を継承します。

<生涯>
さて、以上3つの点を詳しく論じる前に内村鑑三の生涯を少し述べてみたいと思います。内村鑑三は1861年高崎藩の下級武士の子として生まれます。明治維新を迎える直前です。下級武士ですからお金がありません、そこで内村は金のかからない札幌農学校(北海道大学の前身)に入ることにしました。当時の大学はまだ生まれたてで西洋の制度をまねたものですから、先生がおりません。そこでアメリカやヨーロッパから先生を招きます。そうして札幌農学校に招かれたのが、かの有名なサー・ウィリアム・クラークであります。皆さん、「少年よ、大志を抱け」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?この言葉はクラークがアメリカに帰る時に学生に向かって呼びかけたものであると言われております。

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用語集:修道院

ベネディクト修道院
ベネディクトによって529年に創設された西ヨーロッパ最初の修道院。ベネディクトはローマ近郊で生まれローマで教育を受ける。洞窟で修養と禁欲にはげみ、ローマ南方のモンテ・カッシノに修道院を開く。73章からなる「ベネディクト会則」を作り、後の修道院規律の模範となる。その内容は清貧、貞潔、従順の誓約のほか、規律正しい定住共同生活を祈りと労働で行うことが義務づけられている。

クリュニー修道院
フランス・ブルゴーニュ地方の修道院。10-11世紀にクリュニー修道院長ベルノーによって改革運動が起こる。

シトー修道院
1098年にフランスブルゴーニュ地方のシトーによって創立された修道院

フランシスコ修道会
1208年にアッシジのフランチェスコによって始められた托鉢修道会。修道院の外で福音活動することに特徴がある。

ドミニコ修道会
1206年にスペインのドミニコによって始められた托鉢修道会。

托鉢修道会(たくはつしゅうどうかい)
私有財産を認めていないカトリック修道会。特に、ドミニコ会、フランシスコ会、聖アウグスチノ修道会、カルメル会のことを指す。

イエズス会
イグナチウス・ロヨラによって1540年に創立された男子修道会。修練より合唱と祈祷を取りやめ、心霊修業を重点に置く。ローマ教会の目的への献身に重きを置き、宗教改革に対抗して反宗教改革の旗手として戦闘的布教活動をする。

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宗教の三要素

つぎに宗教を別な点から見てみましょう。宗教には3つの要素があります。それは第一に崇拝という要素です。宗教には崇拝、すなわち拝むという観念や行為が入ってきます。宗教の要素の第二は教えです。「宗教」の「教」という字は「教え」という意味です。仏教とは仏の教えという意味であり、儒教とは孔子の教えであり、キリスト教とはイエスの教えであり、イスラム教とはムハマドの教えであります。教えが書き記されている書物を教典(経典)と呼んでいます。キリスト教には聖書、イスラム教にはコーラン(クルアーン)、仏教には大乗経典をはじめ二千以上経典、儒教には四書五経、ヒンドゥー教にはヴェーダをはじめとするいくつかの経典があります。宗教の教えの中心には倫理があります。倫理とは人間関係における規範ということが出来ます。ユダヤ教に「十戒」という教えがありますが、このうちの「父母を敬いなさい」という教えはキリスト教にも儒教にも仏教にも共通した倫理の教えであります。第三の要素は「救い」です。(救いについてはあとで説明します。)
世界の宗教をこの三つの要素から見ると、さまざまな特徴が見えてきます。たとえば日本の神道には崇拝がありますが、倫理的な教えとか救いという要素がありません。イスラム教と儒教には救いの教えがありません。仏教には崇拝というものがあまりありませんが、救いの教えがあります。

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神かコスモスか

世界には神を崇拝するキリスト教、イスラム教、神道などの他に、神の代わりにコスモス(宇宙の秩序)を第一に信じている仏教、儒教、ヒンドゥー教というふうに区別できます。もちろん中国やインドにはさまざまが神々が祭られ信じられていますが、そうした神観念は別なコスモスという観念の下に位置するものと考えられてきました。ヒンドゥー教にはシバ神、ヴィシュヌ神と言った神々がたくさんおりますが、それらもすべてカルマの法則を逃れることはできず、その行いによって次の世では人間や虫などに生まれ変わると信じられてきました。
神とコスモスの違いの第一は人格観念にあります。神もコスモスもともに超感性的力なのでありますが、神は人格的存在であり、コスモスは非人格的な存在であります。

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神のいない宗教

 ところが、世界宗教の中には神のいない宗教もあります。それはどの宗教かといいますと、第一に仏教です。仏教とは紀元前6世紀頃、今から2500年前にインド、いや正確にはネパールに現れたゴータマ・シッダールタ、通常ブッダと呼ばれている人が唱えた教えであります。仏教には神がいません。神の代わりに仏教にはダルマ(仏法)というものがあります。ダルマというと、日本人は選挙や出店に並ぶ置物のダルマを思い起こすかも知れません。飾り物のダルマはその昔、5世紀から6世紀にかけて中国に仏教を伝えた南インド出身の菩提達磨(ボーディダルマ)の瞑想の姿をかたどったものであります。ここでいう仏法のダルマと、置物のダルマは全くの別物です。仏教のダルマ(Dharma)とはこの宇宙の法則、究極の定めという意味です。これを社会学の概念を用いて言いますと、コスモス(宇宙の秩序)となります。
 中国には仏教と同じ紀元前500年頃、孔子によって始められ、支配階級によって確立された、儒教という宗教があります。この儒教にも神はいません。代わりに「天」というコスモス(宇宙の秩序)があります。天とは何かを表す言葉に、「天は人の下に人を造らず、人の下に人を造らず」という福沢諭吉の言葉があります。この言葉は福沢諭吉がアメリカの独立宣言から取ったものと言われていますが、アメリカ人が神と言うところを、福沢は「天」と言い換えたのであります。つまりキリスト教的な「神」を福沢は儒教的な「天」と同じものとみなしたのであります。
 インドでは仏教以前にヒンドゥー(またはヒンズー)教が発達した教えを持っていました。その根幹にはカルマ(因果応報)やサンサーラ(輪廻転生)という観念があります。カルマとは「人はその行いのすべての報いを受ける。善い行いをすれば良い報いを受け、悪い行いをすれば悪い報いを必ず受ける」という観念です。カルマ(因果応報)はこの世の定めと言うよりはあの世も含む宇宙の定めという観念です。カルマとはもし人がその行いの報いをこの世でうけないならば、その報いはあの世で受けるという信仰です。あの世とは「人が死んだ後の世界」ということです。(キリスト教ではあの世のことを天国と地獄と呼んでいます。)ヒンドゥー教では人が死んだら、その魂はこの世で次の生命体に生まれ変わると信じられてきました。どのように生まれ変わるかといいますと、死んだ人の魂はこの世で場合によっては牛や虫の命に乗り移って生まれ変わると信じられてきました。この教えをサンサーラ、輪廻転生と呼んでいます。つまりサンサーラとは「魂は一つの生命体から次の生命体に乗り移り、この世で永遠に存在する」という観念です。このようなカルマやサンサーラの考え方を社会学は「コスモス(宇宙の秩序)」という概念でとらえます。
 以上簡単ではありますが、仏教、儒教およびヒンドゥー教における「ダルマ」「天」「因果応報」そして「輪廻転生」はすべて「コスモス(宇宙の秩序)」を意味する言葉で、コスモスとは「宇宙を司る法則や原理」と言うことになります。

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神とは

神とは「崇拝の対象となっている超感性的人格」を言います。(超感性的とは「目に見えない、あるいは感覚的には捕らえることができない」という意味です。)たとえば日本には日本の神々を崇拝し祭っている神道という宗教があります。日本人ならだいたいの人が訪れたことのある神社はそうした日本の神々を祭っている所であります。あるいは日本人の家の中に祭ってある神棚はやはり日本の神々を崇拝するために作られたものであります。つまり神道とは「日本の神々の崇拝に関っわっていること」と言うことができます。世界宗教であるキリスト教にはヤハウェ(ヤーヴェ)という神がいます。以前はエホバとも言いました。(いまでもエホバと呼んでいるキリスト教の宗派があります。)イスラム教にはアラー(アッラー)という神がいます。

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宗教とは

宗教とは何かという定義は講義の始めからは厳密にはできません。ですが何も定義しないでも聞く人の理解をたすけませんから、厳密性を犠牲にした仮の定義をしてみたいと思います。入門的には、宗教とは「神や宇宙の秩序に関係していること」を言います。

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はじめに

 この講義ノートはマックス・ウェーバー宗教社会学の入門として書かいたものです。
 宗教社会学を研究し、その著作を著した学者はたくさんいますが、その内容の広さにおいて、その概念構成の厳密さにおいて、そして何よりも現実理解の深さ明快さにおいて、ウェーバーに並ぶ学者はまだ現れていません。しかしながらウェーバーの宗教社会学は難解です。読んですぐ解るような代物ではありません。いきなりウェーバーの概念や著述の説明をするのでなく、ある事例をとりあげてそれに関連するウェーバーの研究をかみ砕いて解説したいと考えています。
 入門書としてウェーバーの難しい概念に深くは立ち入らずに、より直感的な事例や特徴的な人物を取り上げ、その人の生涯と事跡を通して宗教を考え、ウェーバーの概念や叙述を導入にしたいと考えています。宗教的な人物としてはまず第一にノーベル平和賞を受賞したシュバイツアー、マザー・テレサ、ダライラマ14世、マーチン・ルーサ・キング、フレンズソサエティをトピックスとして取り上げます。またノーベル平和賞の受賞を5度にわたって辞退したガンジーも取り上げます。ただし、ノーベル平和賞はキリスト教世界で誕生したものでありますから、キリスト教関係の人が多く受賞しており、他の宗教の人は余り多くありません。今回取り上げる人物ではキリスト教徒でないのはダライラマ14世とガンジーのみです。そうすると、この宗教社会学の入門としてはキリスト教以外の宗教が手薄となってしまいます。
 そこで第二に「平和」という視点から宗教を取り上げたいと思います。とりわけ「ユダヤ教とホロコースト」、「イスラム教と聖戦」「アショーカ王の仏教教権制」などを取り上げる予定です。また世界宗教の創始者と呼ばれる、イエス、ムハマド、ブッダについても預言者カリスマおよび平和という観点から論じてみたいと思います。

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