カテゴリー「資料」の6件の記事

矢内原忠雄のマックス・ウェーバー理解

近代「資本主義の精神」とは何か by 矢内原忠雄

矢内原忠雄がウェーバーの「資本主義の精神」に関して的確な解説をしています。
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新興資本主義に「精神」を吹き入れた宗教改革の重要な意義を認めることはマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』以来、多くの学者の研究題目としているところです。その論争は結局、何をもって「資本主義の精神」と言うかに帰します。簡単に言えば新興資本主義精神を特徴づけるものは営利心であるか否かという問題です。
マックス・ウェーバーはこれを否定して、営利心は人類の歴史とともに古く、決して近代資本主義時代から始まったものではないことを主張しています。実際、ヨーロッパの中世において神聖ローマ皇帝とローマ法王と商人資本とは世界的な搾取の体系をなしたのであり、フッガーなどの商人資本の営利的行為は民衆貧困の一因としてうらみの的でした。そして中世の国内的および国際的搾取の組織より脱することが当時の社会変革の要求であり、それによって生み出された新社会がいわゆる資本主義社会でした。この新社会に理想を提供した宗教改革は営利主義の支持者として現れたのでは決してなく、むしろその反対者として、節欲の徳を強調したのでした。すなわち勤勉と倹約の生活を勧め、世俗的職業を尊ぶべき義務と説くことによって宗教改革は新興資本主義の有効な精神的推進力となったのです。もしも当時の宗教改革者たちが「あくことのない営利の追求」や「利潤のための利潤生産」をもって人の義務であると説いたとすれば、とうてい宗教改革そのものが遂行されず、したがって社会変革もまた成就しなかったに違いありません。
宗教改革者の経済道徳は営利主義の是認をもって始まったのではありません。個人の自由と職業の尊重を確立したことが、新社会に対してなした彼らの建設的寄与でした。宗教改革者にあってこの二つの観念は本来信仰問題として理解されたのです。なぜなら宗教改革そのものの精神、言い換えるなら宗教改革の宗教的意義は、中世のローマ教会に対する信仰革命という点にあります。そしてそれはローマ法王の政治的経済的支配を脱して別個の教会を作るというような制度的変革よりもさらに根本的な問題、すなわち信仰の内容および信仰的生活態度の変革にありました。制度ではなく、信仰をもって始まったのです。それであればこそ、よく宗教制度の改革も成し遂げ、また社会変革の推進力ともなることが出来たのです。もしも宗教改革が単なる外形的制度的改革であったならば、とうてい新たな社会の要求する新たな精神力の供給者となることが出来なかったに違いありません。
それではいかなる点にその信仰改革はあったのでしょうか。当時のローマ教会は言いました、人はローマ法王に従えば救われ、従わなければ救われないと。これに反して宗教改革者は叫びました、すべての人はキリストを信じる信仰のみによって義とされると。ここに人類は始めて「個人」を発見したのです。それはコロンブスのアメリカ大陸発見に優るとも劣らない、貴重な新世界の発見でした。どのような人間もキリストを信じる信仰だけで神に義とされる。その他の何ものも必要とせず、また何ものも彼の霊魂をおびやかさない。神が彼を義と認めるのですから、もはや何ものも恐れるにはおよびません。この世が彼に対してなしえることは、ただ肉体の生命を奪うだけのことで、彼の霊魂の救いを奪うことは絶対に出来ません。---この信仰によって人は「自由」を獲得したのです。こうして人は各自、神に創られた「個人」であり、その個人とは「人格」であり、自由な人格として始めて人は「責任」を知り、独立心と創意力との解放をみたのです。そしてこの信仰が社会における人の経済的活動に応用される時、職業の自由と活発な企業精神が確立されたのでした。人の価値はその信仰にあるのであって、職業にあるのではありません。ローマ教会の主張するごとく、聖職が神に近く、世俗的職業が卑しいのではありません。すべての職業が神より与えられた使命として貴くあり、これに励むことは神に対する義務であるとされたのです。
一六〜一七世紀の宗教改革が当時の社会変革に及ぼした精神的影響は、これをいくら高く評価しても、高すぎると言うことはないでしょう。新社会がこれによって「たましい」を吹き込まれ、理想を与えられたのであって、いかにしてこの個人の自由を確保し、発展させるべきが、その後の社会生活の目標となりました。個人主義、自由主義と呼ばれる政策上の原則、ならびにこれを基礎とするデモクラシー(民主政治体制)の起源はここにありました。
しかしながら、河川はいつまでもその源における清さを保ちません。たとえ「新興」資本主義が営利主義をもってその第一歩を踏み出したのではないとしても、資本主義的生産関係それ自体の進行は、営利主義を社会一般に普及させました。一般的に営利主義社会であることが資本主義の歴史的特徴であることは、疑いがありません。こうして営利主義が社会一般に普及するにしたがって、新興資本主義に理想を与えた個人自由の精神は徐々に信仰革命的基礎より切り離され、世俗的営利主義がこれを自己に接ぎ木して、しばしば社会的弊害を結実するようになりました。個人主義のだらくしたものは利己主義となり、自由主義の腐敗したものは無秩序な競争となり、デモクラシーの邪道は通俗政治家のはびこりとなったのです。すでに一九世紀末にカーライルは「投票箱より何の英雄がでるだろうか」と皮肉を言わせるようになっていたのです。
(矢内原忠雄、「社会の理想」、『改造』1941年一月号、)

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資料:矢内原忠雄の戦い

● 真理と戦争
 戦争は病気です。狂暴性(きょうぼうせい)精神病です。戦争は害悪です。反真理です。およそ真理の属性は秩序を愛して混沌を嫌い、生命を愛して殺りくを憎みます。真理は平和を愛し、戦争を嫌うのです。従って戦争を挑発するような制度及び思想に対抗することは真理探求者の自明の任務と言わなければなりません。平和思想の基礎は個人または国家の利益になく、また人間の潜在(せんざい)心理にもありません。平和思想はかえって個人また個々の国家の利益に対して上位にあるところの宇宙的秩序、また潜在心理の本能的野性を止揚(しよう)し訓練するところの人類的理想に立っています。平和は真理の属性に適(かな)うがゆえに真理なのです。
(『中央公論』 1936年1月号)

● 「神の国」より
今日は、虚偽の世において、我々のかくも愛したる日本の国の理想、あるいは理想を失った日本の葬りの席であります。私は怒ることも怒れません。泣くことも泣けません。どうぞ皆さん、もし私の申したことがおわかりになったならば、日本の理想を生かすために、一先ずこの国を葬ってください。
『通信』1937年(昭和12)10月号

● 『嘉信』は日本の良心
『嘉信』は形小なれども国民の良心なり、国の柱なり。『嘉信』を廃するは国民の良心をくつがえし、国の柱を除くに等し。『嘉信』は神により立てられたるものなれば、これを倒していかで国に善事を招かんや。
(「警視総監への意見書」より、1944年6月12日、全集26:113)

● 嘉信会報
 人の生命を救うためやむを得ない必要のあるときに、法に触れることをびくびく恐れて善行の機会を逃すのは、かえって法に忠実な事ではありません。もし法に触れたかどを以て警察が処罰するならば、法に従って素直にその処罰を受けるべきです。しかし神の前に良心のとがめを感ずる必要はないのです。 ・・・『嘉信(かしん)』の廃刊に続いて『会報』を発行することは、私の心において一つの戦いを要しました。・・・この世にあって義しく生きる事は容易な事ではありません。私たちは往々にしてその道さえ知らず、たとえ道を知っても力が乏しい事を嘆いている者です。しかし思えば私たちの戦いの性質も、これに処すべき道も、すべてイエスの生涯において示されています。私たちは彼の足跡を踏むに過ぎず、彼は私たちの模範です。いや、単に模範であるばかりでなく、彼は私たちの力です

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資料:家永三郎の回想(矢内原忠雄)

家永三郎(歴史学者)の回想

「暗黒時代の中で、たとい現実に戦争を阻止する力を発揮しえなかったにせよ、敢然(かんぜん)と侵略戦争の推進に正面から反対した良心的な日本人が、少数ながら存在した事実のみがかろうじて一すじの救いの光として、私たちの心をなぐさめてくれるのである。 ・・・ 矢内原忠雄氏の個人雑誌は、そうした数少ない貴重な良心的活動の中でも、もっとも卓越した一つである。戦争勢力の暴虐(ぼうぎゃく)に対し憤(いきどお)りの念をいだきながら何一つ抵抗らしい抵抗もできず、空しく祖国の破滅(はめつ)を傍観(ぼうかん)するの他なかった私は、自己の無力を顧みて悔恨(ざんき)の念にさいなまれると同時に、このような勇気にみちた抵抗を最後まで継続した人物の存在を知ったときには、驚きと畏敬と、そして日本人の良心のつなぎとめられた事実に対するよろこびの念のわきあがるのを禁ずることができなかった。」
(南原繁編「矢内原忠雄−信仰・学問・生涯」263-4)

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咸錫憲 『苦難の韓国民衆史』

リンク: 咸錫憲 『苦難の韓国民衆史』(目次).

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内村鑑三の非戦論

内村鑑三の非戦論関連の著作を公開しています。

リンク: 内村鑑三の非戦論.

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資料:アショーカ王碑文

注釈:アショーカ王碑文
注1.小岩石第1教勅
「私が在俗信者であった2年半のうち1年間は熱心ではなかった。その後、教団の求道者となり努力した期間は1年間であった。かつてはインドにおいて神々を信じなかった人も今は信じるようになった。これは精進の成果である。」

注2:石柱第1教勅
「ダルマ(教法)に対する至高の愛と至高の自己審査と至高の従順と至高の敬虔と至高の熱心がなければ、この世とあの世の両方を得ることは難しい。」

注3:岩石第13教勅
「私が王に即位して8年後にカリンガ王国を征服した。その時15万人が捕らえ移され、10万人が殺され、その何倍もの人が人々が死んだ。それ以降はカリンガでダルマの熱心な教え、さとし、実践を王である私は行ってきた。それはカリンガ王国への武力の征服に対する私の悔い改めである。なぜなら武力による征服は多くの人を殺し、傷つけ、離散させる。これを王である私はとても苦しく感じ、痛ましく思うのである。しかし、王である私がもっと苦痛を感じることは、カリンガに住んでいたバラモン、シャモン、あるいは他の宗教の人々、また在俗信者で年長者に対する従順、父母に対する従順、師に対する従順、友、知人、同僚、親族および雇い人に対する正しい対応を行い、敬虔な信仰をもつ人々が戦争の災いに遭い殺されたり、愛する人と離ればなれになってしまったことである。 ・・・ ダルマ(教法)による征服こそ最善の征服である。ダルマによる征服こそが私の領土においても、世界中のいたるとこにおいても最善の征服である。辺境の地にはアンティオコスというごヨーナ王がいる、その向こうにはトゥラマヤ王とアンティキニ王とマカー王とアリカスダラ王という名の4人の王がいる。 ・・・ このような教法による征服が全面的勝利であり、喜びを得させるものである。しかしこのような現世における喜びも来世の勝利(救い)の喜びに比べたら軽いものに過ぎない。来世の救いこそが大いなる目的であると私は信じている。 ・・・ この勅語は私の子や孫たちが領土を征服することでなく、教法による征服こそが真の勝利(王とての努め)であると信じることを願って刻まれたのである。」

注4:岩石第8教勅その1 ・・・作成中
注5:岩石第6教勅
「わたしが食事中でも、後宮にいても、内房にいても、飼育寮にいても、車に乗っていても、あるいは庭を散策していても、いつでもどこにいても、上奏官は民衆に関する政務を私に報告するべきである。 ・・・ 全国土の福祉を増進させることが私の義務と考える。その基本は政務に対する精進と迅速な処理である。すべての人の福祉を向上させることよりも高尚な事業は存在しない。わたしがそのために努力を惜しまないのは、私が命あるものに対して負っている債務を返すためであり、また同時にいのちあるものがこの世で平安に暮らし、来世において天国に至らせるためである。この勅語が永久に存続し、わたしの子や孫がすべての人の福祉のために働き、そのために最善の努力をするためにこの石碑は建てられた。」
注6:岩石第8教勅その2
「過去長い間、国王は巡行に出かけた。その際狩猟やその他の娯楽が行われた。しかし私は即位10年の時にブッダガヤに巡行した。このときから教法の巡行が始まった。その際、バラモン、シャモンに会い、布施を与え、長老に金銭を分配し、人民に会って教法をさとし、教法に関する質問を受けた。この教法の巡行は王にとって非常な楽しみとなった。」

注7:岩石第1教勅
「ここ(マウリヤ帝国)では、いかなる生き物も殺して犠牲に供してはならない。またその祭りをおこなってはならない。なぜならその祭りには多くの過ちがあるからである。他の祭りには良いものもある。かつで王の調理場で日ごとに何千もの生き物が食用に殺された。しかし今この教勅が発布された今、ただ3種類の生き物が殺されているに過ぎない。それは2匹の孔雀と1頭の鹿である。しかしこれらの生き物もやがては殺されないであろう」

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