カテゴリー「ウェーバーテキスト(宗教)」の17件の記事

テキスト:旧約の預言者について

●旧約預言者の力
旧約預言者たちの啓示は倫理の心情的純化と集中化へ導きまたそのモットーを提供しました。彼らの預言に決定的なのは政治的災いに方向付けられた途方もない待望感のおどろくべき迫真性です。もしも全国民に知られ恐れられていた預言者デマゴーグの強力な威信がなかったなら、ヤハウェはイスラエルを破壊しまた再建する世界神という理念の権威が維持されることはほとんど考えられません。機会のある毎に公的な場所で語られ、百年後までも記憶されて、わざわいの預言が確証され、それによって人々が何度も震え上がるというような経験がなければ、わざわいの世界神としてヤハウェの権威が確立することは到底考えられません。旧約聖書の内面的な全構造は、預言者の啓示による、このような方向付けなしには考えられません。
また、ナザレのイエスは旧約預言の約束にもとづいて自らの使命を自覚しました。そしてキリスト教は旧約聖書を自らの聖典としました。これによって、旧約預言者の射程は数千年を越えて現代のただ中まで及んでいます。
ユダヤ人はその運命によって政治的団体を破壊されました。しかし彼らは彼らにわざわいを下したヤハウェを捨てることなく、かえってより強固にヤハウェの宗教的団体を作り上げていきました。この発展を支えたのは旧約預言者の終末論的救済に対する力強い信仰と情熱的な迫真性です。ヤハウェの意志に対する壮大な解釈と不動の信頼が旧約預言者にあったからこそユダヤ人は国土を失っても、自己同一性を失わなかったのです。政治的に破壊された共同体に宗教的団結力を与えることできたものは預言のみだったのです。人は預言の中に激情的な待望感の満たされる日をやがて自分に体験できるとう希望を持ったのでした。

●民衆演説家としての預言者

アモスからエゼキエルに至る補囚前の預言者たちはとりわけ政治的デマゴーグ(民衆演説家)、また政治的糾弾文筆家でした。この言い方は誤解されるおそれがありますが、正しく理解するなら、そこに次のような不可欠の認識が含まれています。
それは第一に預言者たちは「語った」ということを意味しています。しかも、彼らは聴衆に向かって公然と語りました。
さらにそれは第二に、もし隣接する諸強国の世界政策よって祖国がおびやかされる事がなければ、預言者は起こらなかった、という事を意味しています。預言者たちの印象的な預言の多くはこの問題をめぐっています。・・・
なぜ預言者は広場で公に語るかといえば、それは国家および民族の運命を相手とするからです。そして必ず権力者たちに対して激情的に糾弾しました。ここに人類史上初めて民衆演説家(デマゴーグ)が現れました。

●権力糾弾者としての預言者
国土と王権に対する外国からの侵略の危険が高まるにしたがって、自由預言が展開しました。エリヤは王とその宮廷予言者に対して公然と対立しました。しかし、そのために彼は亡命しなければなりませんでした。ヤラベアム二世に対するアモスも同様でした。強力な政治支配下では、たとえばユダのマナセの支配下では、イザヤ後の預言者たちは沈黙させられました。その後、王の威信が衰え、侵略の脅威が高まるにつれて、また預言の意義が高まってきました。・・・
預言者は自ら街頭で語る場合も、人を介して公に語らせる場合も、王に対して公然と対立するのが常です。預言者は人の求めに応じて神託を述べる場合もありますが、通常は内面からうながされて、霊感のおのずからわくままに、市場で聴衆に語ったり、城門で長老たちに語りました。なぜ預言者は広場で公に語るかといえば、それは国家および民族の運命を相手とするからです。そして必ず権力者たちに対して激情的に糾弾しました。ここに人類史上初めて民衆演説家(デマゴーグ)が現れました。

●宗教的な民衆演説
エルサレムでは純粋に宗教的な民衆演説が威力を持ちました。この民衆演説は権威的に現れ、あらゆる秩序だった議論を回避しました。そして、その預言は暗い不安の中から稲妻のごとく、将来の暗黒の運命を照らし出しました。・・・
人々が預言を禁じようとしたゆえに、アモスはイスラエルに対する神の怒りを告知しました。それは現代の民衆演説家が言論・出版の自由を要求する場合とほぼ同じなのです。

●最古の政治的パンフレット
預言者の言葉は口頭での告知には限られませんでした。エレミアの場合、それは公開の書状として現れました。あるいは預言者の友や弟子たちが預言を書き留め、収集し、編集しました。それらは直接現実的な政治的パンフレットとなりました。そうした預言集は、史上最も古い政治的パンフレットの文献なのです。

(マックス・ウェーバー、「古代ユダヤ教」より)

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テキスト:預言者の啓示

預言者の啓示には、意識的に体系化され意味づけられた生活態度を通して一つの統一的な人生観が得られる、という意味が込めれています。人生と世界、社会現象と宇宙の出来事、これらはすべて預言者にとっては体系的に統一された「意味」を持っています。・・・啓示における意味の統一性とは論理的な首尾一貫性にではなく、実践上の態度にあります。つまり実践的な行為を一つの生活態度へ統一する試みが問題であり、その際、行為がどのような外観を示すかはその時の場合によってまいまちであってもかまわないのです。

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テキスト:預言者とは

預言者とは
自らの使命によって、ある宗教的な教えあるいは命令を告知する、個人的なカリスマの所有者のことを意味します。・・・第一に、預言者にとって決定的なことは個人的な召命にあります。この点が預言者と祭司を区別する点です。祭司は伝統の名において権威を要求しますが、預言者は個人的な啓示やカリスマにもとづいて権威を要求するからです。祭司は救済経営をする組織の一員として、その官職によって救済財を施す人です。これに対して預言者はもっぱら個人的な天与の能力によって活動します。第二に、預言者か呪術師から区別されるのは、その告知する内容が教えないし戒めという形をとることです。そして預言者はその預言の告知を無報酬で行うという点が祭司や呪術師から区別されます。預言者はその「理念」をそれ自身のために広め、決して報酬のために広めるのではありません。
(マックス・ウェーバー、「宗教社会学」より)

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テキスト:魔術からの解放

魔術からの解放
「教会や聖礼典による救いを完全に排したということこそが、ピューリタン主義がカトリック主義と比べて無条件に異なる決定的な点です。世界を魔術から解放するという宗教史上の偉大な過程、すなわち、古代ユダヤの預言者とともに始まり、ギリシャの科学的思考と結合しつつ救いのためのあらゆる魔術的方法を迷信とし邪悪として排斥した、あの魔術からの解放過程はここに完結を見たのです。真のピューリタンは埋葬にさいしても一切の宗教的儀式を排し、歌も音楽もなしに家族を葬りました。これは心にいかなる迷信(superstition)も、つまり魔術的聖礼典が何らかの救いをもたらすというような信心を生じさせないためでした。」
(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」より)

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テキスト: イスラム教

イスラム教
イスラム教は旧約聖書およびユダヤ人キリスト教の明らかなえいきょうものとに、西南アジア的一神教の伝統を受け継いで生まれました。イスラム教はユダヤ教と並んで現世順応的な宗教です。しかし、イスラム教の「現世順応性」はユダヤ教のそれとはまったく意味が違います。イスラム教は最初のメッカ時代においてムハマドの終末論的教えのもと都会的な秘密集会をもつ現世隔離的宗教でした。しかしそれはメディナ時代およびアラビア半島への拡大時代において国家的なアラビア戦士の現世的宗教へ、さらには身分階層的な戦士の現世順応的宗教へと変化していきました。メディナにおけるムハマドの決定的成功は強大な氏族に属する人々の一連の改宗によるものでした。改宗の目的は聖戦という宗教的命令を第一としたのではなく、イスラム教が現世における社会的信望の第一位を占めることにありました。「他の宗教信者が従順に貢税を支払うこと」つまり貢納義務者の間でイスラム教が社会的名誉を得ることが改宗の目的でした。以上のことはイスラム教を支配者宗教として性格付けしました。

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テキスト:アショーカ王

テキスト:アショーカ王
---------------目次------------------
● 王の仏教入信
● 宗教と政治の関係
● 教権政治の平和主義
● 福祉国家の理想
● 平和政策
● 寛容政策
● 敬虔の法則
● 宗教国家
● 仏教の統一
● 仏教経典の編集
● 世界伝道
● 政治的仏教
● 宗教教育
● 福祉国家の理念
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● 王の仏教入信
原始仏教はマウリヤ王朝アショーカ王の統治下で頂点に達しました。アショーカ王はエジプト人やアッシリア人やアケメネス人の仕方で、自己の業績と命令を多くの石窟碑文や石柱碑文の中に永久に残そうと努力した最初のインド人君主でした。アショーカ王は始めに仏教教団(サンガ)の求道者となり、しばらくして正式な成員となりました(注1:小岩石第1教勅)。

● 宗教と政治の関係
しかし彼が国王の座を続ける事が出来たのは、仏教教団の広範囲な適応を示しています。アショーカ王自身も、この世とあの世のどちらも獲得することがいかいに難しいかを強調しています(注2:石柱第1教勅)。なぜなら、国王は通常の僧侶とはみなされず、独特の特殊な地位を占しめたからです。それとともに、仏教では初めて世界君主の権力がブッダの非現世的な宗教的力を補完すべきものという政治理論の芽が生まれました。ビザンツの皇帝がキリスト教会の保護者であると主張した意味で、アショーカ王は仏教教団の保護者でした。

● 教権政治の平和主義
さらに、彼の教勅は半教権政治の独特の帰結も示しています。王の改宗は始めカリンガ王国に対する大規模な征服の後に生じました。王はこの征服戦争の際、虐殺によって多くの敬虔な人が失われたことを後悔しました。今後は剣によって征服するのでなく、信仰の力によって、信仰のために征服することが自分の子孫のダルマ(職分)であると決意しました。そしてこの平和な征服よりもいっそう重要なのは魂の救い、つまり来世であると述べています(注3:岩石第13教勅)。

● 平和国家の理想
王のダルマ(職分)を伝統的(政治的武力主義的)なものから宗教的・平和主義的なものに転換させることによって、家父長的・倫理的・博愛的な福祉国家の理想が帰結します。王は国土と人民を守ることが義務であり(注4:岩石第8教勅その1)、人々が「幸福」となり「天国を得る」ような公共の福祉のために働かなければなりません。その仕事は迅速を必要としますから一日中いつでも王に対して報告がなされなければなりません(注5:岩石第6教勅)。

● 平和政策
王自身は模範的な生活を送り、戦争と狩りを止めます。(狩りはここでも軍事勤務と結びつけられ、平和時にはその代わりになっていたのです。)代わりに、王は布教に従事し、そのために旅行します(注6:岩石第8教勅その2)。王は不殺生(アヒムサ)の教えに応じて、首都パータリプトラにおける屠殺と食肉狂騒の祭り(サマージャ)を禁止し、王宮の調理場では今後家畜は殺されてはならないと公布します(注7:岩石第1教勅)。人間と家畜のために薬局と病院が設けられ、道路には果実と日陰をあたえる樹木が植えられ、人間と家畜のための休息所が設けられ、施しが分配されなければなりません(石柱第7教勅)。不当な拷問と投獄は中止しなければなりません(カリンガ石窟教勅)。

● 寛容政策
ここに見られる最も重要な特徴は原始仏教の暴力拒否から来る「寛容」でした。自分の国民はいかなる信仰を持っても自分の「子ども」です。重要なことは、その信仰の誠実さであり、その信仰の教えから実践的結果を生み出そうとするひたむきな態度です、と『バガヴァトギーター』を思い起こさせる口調でアショーカ王はのべす。儀式と外面的態度はほとんど役立にたちません(岩石第9教勅)。・・・ 王は贈り物や外面的な畏敬をあまり信頼せず「事実の本質」が遂行されることだけを尊重します(岩石第12教勅)。王は、各自が自己の宗派に実際に誠実に従いさえすれば、仏教徒と同じく、あらゆる宗派とあらゆる身分、富者と貧者、バラモン、苦行者、ジャイナ教徒、アージヴィカ教徒(ヴィシュヌの禁欲的宗派)、その他を等しく尊敬します(石柱第6教勅,第7碑教勅文)。そしてアショーカ王は事実、それらすべてに対して布施をおこないました。特に、初期の勅語においてバラモンに対する尊敬が厳命されています。諸宗派はいかなる事情があっても相互に対する蔑みを抑え、各自の教えの倫理的内容の実践に従事しなければなりません。

● 敬虔の法則
その倫理的教えの内容(最も完全な内容はブッダのダルマに見られます)はあらゆる宗派において本質的に同じものと、明らかにアショーカ王は見なしていまた。彼はこの共通の倫理的内容を「敬虔の法則」と呼び、次のようにまとめ、繰り返し書き記しています。
(1)両親と年長者に対する従順(石柱第7碑文,石窟第5碑文)
(2)友人、親戚、バラモン、苦行者に対する親切
(3)生命への畏敬
(4)激情と度を過ぎたことの回避(石窟第3碑文)
すべての人がこの法則を全部守れるとは限りませんが、すべての宗派は感情の抑制、心の純潔、感謝の心、誠実な態度を育て広めることができます(石窟第7碑文)。すべての善い行いは来世においてその結果をもたらしますが、現世においてもしばしばその結果をもたらします(石窟第9碑文)。

● 宗教国家
「敬虔の法則」の実施と統制のために王は法大官(ダルマ・マハマトラ)という自身の官僚を作りました。法大官は王と王子の後宮の監視もしたように見えます(石窟第5碑文)。地方官僚は5年ごとに全管区で「穏和で忍耐強く、かつ生命を尊重する」人民集会を開かなければなりません(カリンガ石窟碑文)。これらの集会と法大官による監視によって敬虔の法則が普及されなければなりません。婦人たちの品行、従順にたいする違反、敬虔の法則に対する違反が審問されなければなりません(石柱第5碑文,第12碑文))。僧職者は人民にこの法則を教育することに奉仕しなければなりません。・・・ これは全体としてクロムウェルの審問官とその神聖国家を思い起こさせます。・・・

● 仏教の統一
仏教に対する王の熱意は増大したように見えます。キリスト教会に対するビザンツ皇帝たちと似た仕方で、アショーカ王は自らを仏教教会の主人兼保護者として振る舞いました。小石柱サンチー教勅において、彼は僧侶団(サンガ)における分派主義者に反対し、彼らは黄衣(僧の服)でなく、白衣(平民の服)をまとわねばならないと命令しています。「なぜならサンガは一つでなければならないからです。」

● 仏教経典の編集
しかしながら、形式的に見てアショーカ王の最大の革新はそれまで250年も口伝のみで伝えられていた仏教伝承を文字に固定したことです。この革新は、おそらく初めて組織的な書記行政への移行を確立した王と、彼の下で開催された(いわゆる第三回目の)教会会議とによって始められました。・・・ 教会の統一性の維持にとって写本が何を意味したか、そしてそれは伝道に対して何を意味したかは明らかです。中国のような文人の国おいては仏教は経典宗教としてのみ一般的な地歩を占めることができました。

● 世界伝道
仏教の世界的伝道の演出、あるいは少なくともその計画的な布告はアショーカ王に帰せられます。火のような情熱をもって彼はそれに突き進みました。仏教が世界宗教となる最初の動因はアショーカ王によって与えられました。まず、原住民部族が改宗させられました(カリンガ石窟碑文)。しかし王は外国とりわけアレクサンドリアにまでおよぶ西方のギリシャへ大使をつかわし、この聖なる教えを世界中に広めようと取り組みました。また王の使節はセイロン島と東南アジアの地域に向かいました。直接的な成果はどうあれ、アジアにおける仏教の世界的広がりは、ここにその理想的な始まりを見たのです。最初はセイロン島と北方インドで仏教は広まりました。それからビルマ、ベトナム、タイ、その他の東南アジア諸国と朝鮮において、そして変化した形ではチベットにおいて国教となっており、日本と中国でも長い間支配的な宗教となりました。

● 政治的仏教
言うまでもなく仏教がこうした宗教的役割を担うためには、その知識人的救済道は大きな変化を受けなければなりませんでした。第一に世俗の支配者が仏教団の内部において彼自身の権利を獲得したと言うことは全く新しい状況でした。この権利とその影響は大きいものでした。とりわけ正統派の小乗仏教が拡がった地域では仏教徒君主の神聖政治に関して一つの有意義な観念を提供しました。国王は国教会の総教主を任命あるいは少なくとも承認しました。総教主の職はタイではサンカラト、ビルマではタタナバインと呼ばれ、常にカリスマ的に傑出した僧院長がつきました。総教主の職がアショーカ王の下で初めて作られたと言うことは、伝承に反することですが、可能性が高いです。その理由は、それ以前は単に僧院および僧侶の年功が決定的であったように見えるからです。さらに、今でもタイで見られるように、国王は傑出した僧侶に対して称号を与えます。このことは明らかに国王兼祭司の地位から生じたものです。国王は世俗的役人を用いて僧院の規律を検査し、違反する僧侶に責任を取らせます。こうして、国王は教会の規律に関して公の地位を持ちました。王は自らも僧侶の衣服をまといますが、自身の導師によって完全な誓いの順守を免除されていました。このこともまた(何の証拠もありませんが)アショーカ王かその後継者の創造です。これは王に僧侶の地位を与えるのに役立ちました。

● 宗教教育
その結果、正統派(小乗)の地域で僧侶共同体への一時的参加が高貴な道徳と、また青年教育の一部と見なされるようになった。また僧院規律の一時的ないしは部分的遂行は俗人信徒に生まれ変わりの機会を促進させ、功徳となる行いとなりました。これによって、俗人の信仰が僧侶の救済道に対してある程度、外形的に接近することになりました。
貴族の僧院教育およびそれにならって作られた僧侶による大衆の学校教育がもしも合理的性格を持っていたら広範囲におよぶ結果をもたらしたでしょう。なぜなら少なくともビルマにおいて民衆学校教育は普遍的であったからです。ビルマとセイロンにおける学校教育では読み書き(方言と経典語)と宗教指導が行われました。しかし算数は含まれませんでした。なぜなら算数は宗教的目的に対して無益であったからです。こうした俗人大衆に対する教育は原始仏教にはなじみのないものでした。「内面的伝道」に対するアショーカ王の情熱が初めてこうした学校教育を起こす動因を与えた可能性が大きいです。

● 福祉国家の理念
ヒンドゥー文化圏において、ここに初めて「福祉国家(公共の福祉)」の理念がが現れましたた。アショーカ王は公共の福祉の増進は国王の義務と見なしていた。ただし、ここでの「福祉」とは宗教的性格(救済の機会の増進)ないしは慈善的性格として理解され、合理的経済的には理解されなかった。 ・・・ 
アショーカ王の一教勅は仏教団内部の分裂主義者について述べている。大乗教の伝承によれば、大きな分裂はヴァイシャーリー(第二回)会議において初めて生じたとされ、それはブッダの死後110年目であったと言われるが、おそらくはアショーカ王の下で、彼によって引き起こされたものである。細部の歴史的正確さは別として、事実の性格から見ても、伝承から見ても、最初の分裂の理由はそれ自体はっきりしている。有名なヴァッジー族の僧侶たちの「十戒」については合意は得られなかったが、それらは一貫して規律上の問題であり、教義上の問題ではなかった。問題とされたことの一つは僧院における生活態度に関する個別問題であり、全体としては規律の緩和を目的としており、形式的な関心事であった。もう一つの問題は組織上の問題であって、これは分裂の序曲と結合していた。他にもう一つ重要な経済上の問題があった。それはフランシスコ修道院で一般修道士と厳格修道士の分裂が生じた時と同じ性格の経済問題であった。開祖の教えではいかなる金銭の所有も、それゆえに金銭の施しも禁じられていた。伝承によれば厳格派の一人がこの開祖の教えにしたがって、金銭の施しを拒否した時、大多数の僧侶はこれを在俗信者に対する侮辱であると非難した。施しを拒否した人は自分の正しさを弁明するため、公の機会を利用した。しかし彼は「教団の承認なしで説教した」との理由で罰せられた。上座仏教の伝承によると会議は他の点では初期正統派の教えを確認した。いずれにしても、見解の一致は見られなかった。
しばらくして、規律上の問題の他に、教義上の問題も生じた。その際、初めて来世の救済に関する教義が議論されたのである。伝承によればアショーカ王のもとで開かれた会議で座長は三つの問題を提起した。1.覚醒者(アルハト)は恩恵を失ってもよいか。2.現世の存在は真実であるか。3.神秘的知識(サマディ)は絶え間ない瞑想によって達成されるのか、という問題である。

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テキスト:禁欲の反権威性

禁欲の反権威性
「本来の禁欲はつねに反権威的なものです。・・・カトリック的禁欲の場合、教会組織の権威が問題となる限り、服従それ自体が禁欲であると解釈して、服従の誓いをさせて反権威的傾向を抑えました。ところでプロテスタンティズムの禁欲にあらわれた反権威的原理の底流こそが、今なおピュウリタニズムの歴史をもつ諸国民の民主主義と、ラテン的精神の下にある民主主義との違いの歴史的基礎となっているのです。反権威的原理はまたアメリカ人の丁重さに欠けることの歴史的理由でもあります。」
(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」より)

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テキスト:プロテスタント・セクトの反権威性

プロテスタント・セクトの反権威性
「洗礼(バプテスト)派運動ほど、あらゆる教会から無慈悲な迫害をうけたものはありません。それは独自な意味でのセクト(自主団体)になろうとしたからです。・・・ 平信徒の世俗内禁欲はつねに私的な集会をうみだしました。カトリック教会はこのような集会を最大の不信の念を持って扱い、修道士会結成の方向へ、つまり世俗内でなく世俗外へ、導こうとします。あるいは既存の修道士会へ従属させて管理しようとします。平信徒の主観主義的禁欲道徳が権威の否定と異端につながる危険をカトリック教会は見逃しませんでした。」
(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」より)

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テキスト: セクトとは

セクト(宗派)とは
社会学的な意味における「セクト」とは普遍性を断念して、成員同士の自由な合意にもとづいく集団を言います。セクトは貴族主義的構成体であり、宗教的な特別の資格があるものだけの選抜団体であろうとします。セクトは教会と違って、すべての人を受け入れ、すべての人に救いを施そうとする「恩恵の施設」ではありません。教会は、その社会学的意味では、正しい者にも正しくない者にも救いの恵みを施し、罪あるすべての者を神の命令への服従へと訓練する恩恵の施設(アンシュタルト)です。・・・
セクトはその純粋型においては制度的恩恵と官職地位のカリスマを拒否します。・・・セクトにおいて、メンバーはその特殊カリスマの資質を持つことが要求されます。セクトのメンバーが作る共同体は資質のある者を無い者から分け隔てる選抜の機能を持ちます。・・・純粋なセクトでは統括的な本部組織でなく、個々の共同体が無条件の主権を持つという原則が生まれます。なぜなら日々相互に交際し、お互い個人的に知り合っている者に対してのみ、その宗教的資格を判定することできるからです。同じ信仰をもつ共同体が集結してより大きな団体を作る場合は単なる「機能団体」であり、決定的な処理権はつねに個々の共同体に保持されます。
(マックス・ウェーバー、「支配の社会学」より)

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テキスト:良心の自由

良心の自由
最も完全な教会(救済機関)では良心の自由は認められません。教会が良心の自由を要求する場合は自分のためだけであり、他人の良心の自由のためではありません。カトリック教徒の良心の自由とは自らの良心に従って行為することではなく、教皇の指示に従うことを意味するにすぎません。教会は、カトリック教会であれルター派教会であれカルヴァン派教会であれ、自分が勢力を持っている限りは他者の良心の自由を認めません。魂の救いのために信者を危険から守るという教会の官職義務からは他人の良心の自由は認められないのです。
これに対して、クエーカー派の良心の自由は自分の良心の自由であるとともに他者の良心の自由でもあります。クエーカー派では何人も強制されないことをその中心的教えとしています。教会的でないプロテスタント諸宗派(セクト)の基盤で、権力の強制に対抗して個々人が不滅に持っている一つの権利として良心の自由が成立しました。・・・良心の自由は国家権力からの自由を保障する第一次的な人権だからです。
(マックス・ウェーバー、「支配の社会学」より)

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